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カルテ⑨ 医療・福祉・教育・芸術 モダンタイムズ 12月号 蔵の街クリニック原稿

11月号で池上先生の御発言「これからの産業は直接的対人サービス産業だ」の例を「医療・福祉・文化」と書いたが「医療・福祉・教育・芸術」であった。
さて、ではなぜ、これらが「これからの産業」なのか。
もとより筆者は経済学者でも通産省の官僚でもないので、読者諸氏が心から得心のいく説明ができるかは心許ない。
栃木サミットで池上先生の話を聞いて、なるほどと思ったことの御紹介にとどまるかも知れないが、どうかお許し頂きたい。
近年の横浜を訪れた人は、コンヴェンション・ホールやホテルなど、大きなビルの立ち並ぶミナトみらい地区の偉容を記憶にとどめるに違いない。
そこがかつて石川島播磨重工の造船所だったことを思うと変貌ぶりに感慨を覚える。
横浜の人口はその頃に比べ飛躍的に増大した。
しかし人々を支える産業は造船関連ではなく流通・サービスなど違った産業であろう。
鉄鋼・機械・造船・自動車などの重工業からサービス産業へ、横浜ミナトみらい地区の変容は最近の我国の産業構造の激変を如実に物語ってはいないだろうか。
それは見方を変えれば、人々の目標とするものが利便性、効率性、コストダウンなどの工業的なものから、快適性、充足度、自己実現などの文化的なものへと変わってきたということはできないだろうか。茶の間にしかなかったテレビは各部屋に配備された。
その結果、人々は一見多くの娯楽と情報を手にしたかにみえるが
実際には、惨たらしい事件や拝金の思想に象徴される殺伐とした心の風景が現出している。「高度技術による利便性の向上は、一方で心の貧しさを増し、生活の中の芸術性を低下させた」
という池上先生の御指摘は、利便を享受しながら、何か満ち足りない現代日本の苛立ちを言っているように思える。
効率を上げ、コストを下げ、利便性を高めるという工業製品のいわゆる「生産性向上」の発想は、有名大学に入学し○大卒の称号を得れば、出世が約束され
生活は向上する、といった「学歴主義」の信仰、「受験戦争」の勃発となって生活感情や人生の価値観にまで侵入してはこなかったか。
池上先生は「日常生活に生存競争が入ってきたことが教育崩壊の根元だと思う」と指摘する。どうすればよいのか。その回答が「生活の芸術化」だろう。
「モノを作る過程に芸術的要素が入り込むことによって労働の過程に自由な創造という要素が入ってくる」。
そうして「芸術性と機能性の結びついた」モノを手にする消費者の喜び。
その喜びが「生活の芸術化」を推進する。一方、生産者側でも、消費者の芸術への欲求が「手仕事の評価」「労働の人間化」に及ぶために「労働の評価の基準」を転換して
「長期的には利潤の増加につながるが短期的には芸術性を理解し、享受しうる消費者の欲求を充足しうる」
製品や生産システムへの貢献を高く評価する方向へと価値基準を転換する。
消費者生産者双方のこうした価値の転換がこれまで手にした利便性の上に芸術性を加え快適さ、自己実現など心の豊かさにつながる潤いに満ちた日常生活を築きうるのではないか(池上惇:生活の芸術化-ラスキン モリスと現代-、丸善ライブラリー刊の自由な引用)。
わが医療に引きつけて考えれば、大病院の「3時間待ち3分診療」の問題が相当するように思う。
午前中の診療時間を9時から12時の3時間として、診察可能な患者さんの数は3分診療なら医師1人あたり60人である。
仮に180人の患者さんが来院するとすると必要な医師は3人である。
しかし3分に出入りを含むと患者さんが医師と実際に接する時間は1分数十秒だろう。
余りに短いからせめて出入り含めて5分にすると
来院者180人では5人の医師が必要となる。
経営側からみれば患者180人分の医業収入はそうは変わらないから医師2名の人員増は負担増である。
では1人あたり2分の時間延長に対し、医師2名分の診療報酬引き上げが可能かとなれば厳しい医療費の問題が立ちふさがる。
人によって、病気によって、程度の差もあれば方法も様々だが健康の維持病気への対応に必要な情報を交換するのに1人あたり平均どの位の診療時間を確保するのがよいかそのための方策は何か、となると、大病院集中を避ける機能に応じた医療機関使い分けの促進などを考える。
しかし、施設設備の整った大病院の方が安心だ、という患者さんの心理に及ぶ医療の質の問題もある。
結局は、患者さん一人一人が満足できる健康、疾病に関する情報交換の場をどこにどう築くか、という、これも効率や利便、コストだけでなく、快適さや充足度、自己実現を含む価値判断の問題に行き着くのではないか。
福祉・教育・芸術も同様だろう。基本的に一人一人で要求の違う福祉、一人一人適性や能力の違う人間の教育、アーティスト毎に異なる芸術性などこれらは個を大切にみなければ成り立たないことばかりである。
一人の奏者が同時にバイオリンもピアノも弾くわけにはいかないという意味でこれらは決して生産性の上がらない産業である。
しかしその芸術性、対人性が「生活の芸術化」によって成長の可能性をもち雇用創出の契機をはらむのならこれからの産業と考えることができるのだろう。
「文化による町づくり以外に町の活性化はない」と池上先生が断言されるのは住民一人一人が思いを深め、感性を磨き、手間をかけることに価値を見いだす生活様式の構築のみが未来を開くとの意味に違いない。
ではよいお年を

11月号で池上先生の御発言「これからの産業は直接的対人サービス産業だ」の例を「医療・福祉・文化」と書いたが「医療・福祉・教育・芸術」であった。
さて、ではなぜ、これらが「これからの産業」なのか。
もとより筆者は経済学者でも通産省の官僚でもないので、読者諸氏が心から得心のいく説明ができるかは心許ない。
栃木サミットで池上先生の話を聞いて、なるほどと思ったことの御紹介にとどまるかも知れないが、どうかお許し頂きたい。
近年の横浜を訪れた人は、コンヴェンション・ホールやホテルなど、大きなビルの立ち並ぶミナトみらい地区の偉容を記憶にとどめるに違いない。
そこがかつて石川島播磨重工の造船所だったことを思うと変貌ぶりに感慨を覚える。
横浜の人口はその頃に比べ飛躍的に増大した。
しかし人々を支える産業は造船関連ではなく流通・サービスなど違った産業であろう。
鉄鋼・機械・造船・自動車などの重工業からサービス産業へ、横浜ミナトみらい地区の変容は最近の我国の産業構造の激変を如実に物語ってはいないだろうか。
それは見方を変えれば、人々の目標とするものが利便性、効率性、コストダウンなどの工業的なものから、快適性、充足度、自己実現などの文化的なものへと変わってきたということはできないだろうか。茶の間にしかなかったテレビは各部屋に配備された。
その結果、人々は一見多くの娯楽と情報を手にしたかにみえるが
実際には、惨たらしい事件や拝金の思想に象徴される殺伐とした心の風景が現出している。「高度技術による利便性の向上は、一方で心の貧しさを増し、生活の中の芸術性を低下させた」
という池上先生の御指摘は、利便を享受しながら、何か満ち足りない現代日本の苛立ちを言っているように思える。
効率を上げ、コストを下げ、利便性を高めるという工業製品のいわゆる「生産性向上」の発想は、有名大学に入学し○大卒の称号を得れば、出世が約束され
生活は向上する、といった「学歴主義」の信仰、「受験戦争」の勃発となって生活感情や人生の価値観にまで侵入してはこなかったか。
池上先生は「日常生活に生存競争が入ってきたことが教育崩壊の根元だと思う」と指摘する。どうすればよいのか。その回答が「生活の芸術化」だろう。
「モノを作る過程に芸術的要素が入り込むことによって労働の過程に自由な創造という要素が入ってくる」。
そうして「芸術性と機能性の結びついた」モノを手にする消費者の喜び。
その喜びが「生活の芸術化」を推進する。一方、生産者側でも、消費者の芸術への欲求が「手仕事の評価」「労働の人間化」に及ぶために「労働の評価の基準」を転換して
「長期的には利潤の増加につながるが短期的には芸術性を理解し、享受しうる消費者の欲求を充足しうる」
製品や生産システムへの貢献を高く評価する方向へと価値基準を転換する。
消費者生産者双方のこうした価値の転換がこれまで手にした利便性の上に芸術性を加え快適さ、自己実現など心の豊かさにつながる潤いに満ちた日常生活を築きうるのではないか(池上惇:生活の芸術化-ラスキン モリスと現代-、丸善ライブラリー刊の自由な引用)。
わが医療に引きつけて考えれば、大病院の「3時間待ち3分診療」の問題が相当するように思う。
午前中の診療時間を9時から12時の3時間として、診察可能な患者さんの数は3分診療なら医師1人あたり60人である。
仮に180人の患者さんが来院するとすると必要な医師は3人である。
しかし3分に出入りを含むと患者さんが医師と実際に接する時間は1分数十秒だろう。
余りに短いからせめて出入り含めて5分にすると
来院者180人では5人の医師が必要となる。
経営側からみれば患者180人分の医業収入はそうは変わらないから医師2名の人員増は負担増である。
では1人あたり2分の時間延長に対し、医師2名分の診療報酬引き上げが可能かとなれば厳しい医療費の問題が立ちふさがる。
人によって、病気によって、程度の差もあれば方法も様々だが健康の維持病気への対応に必要な情報を交換するのに1人あたり平均どの位の診療時間を確保するのがよいかそのための方策は何か、となると、大病院集中を避ける機能に応じた医療機関使い分けの促進などを考える。
しかし、施設設備の整った大病院の方が安心だ、という患者さんの心理に及ぶ医療の質の問題もある。
結局は、患者さん一人一人が満足できる健康、疾病に関する情報交換の場をどこにどう築くか、という、これも効率や利便、コストだけでなく、快適さや充足度、自己実現を含む価値判断の問題に行き着くのではないか。
福祉・教育・芸術も同様だろう。基本的に一人一人で要求の違う福祉、一人一人適性や能力の違う人間の教育、アーティスト毎に異なる芸術性などこれらは個を大切にみなければ成り立たないことばかりである。
一人の奏者が同時にバイオリンもピアノも弾くわけにはいかないという意味でこれらは決して生産性の上がらない産業である。
しかしその芸術性、対人性が「生活の芸術化」によって成長の可能性をもち雇用創出の契機をはらむのならこれからの産業と考えることができるのだろう。
「文化による町づくり以外に町の活性化はない」と池上先生が断言されるのは住民一人一人が思いを深め、感性を磨き、手間をかけることに価値を見いだす生活様式の構築のみが未来を開くとの意味に違いない。
ではよいお年を